産地・造り方の特長
甘藷(さつまいも)焼酎は、甘藷を主原料とした焼酎で、主に甘藷の主産地である鹿児島県、宮崎県や東京都下の伊豆諸島で造られていますが、焼酎ブームの中、全国各地でも造られるようになってきました。
麹は、米で造ることが多いですが、麦や甘藷で造ることもあります。鹿児島県や宮崎県では主に米で、伊豆諸島では麦で麹を造ります。麹造りでは、クエン酸を生産する黒麹菌や白麹菌を使用することが多いです。
甘藷は傷みやすく、原料由来の異臭や苦味による酒質の低下を起こしやすいため、原料処理の段階で酒質低下の原因となる甘藷の両端部や病痕部などを切除して良質な部分だけが焼酎の仕込みに使われます。また、甘藷の皮をむいて使う場合もあります。
一次醪で酵母を十分に増殖させた後、蒸した甘藷を加えて発酵を進めます。このときに焼いた甘藷で仕込む場合もあります。黒麹を使用すると醪は少し黒ずんだ色となり、紫系の甘藷を使うと醪の色は鮮やかな色になります。もっとも、蒸留して出来上がった焼酎はどちらも無色です。二次醪は、最高温度32℃程度で8~10日間発行させて、アルコール分13~15度に仕上げます。
醪の上流方法は、多くは常圧蒸留ですが、減圧蒸留で造られた焼酎もあります。また、両者の個性を生かすために蒸留後にブレンドする場合もあります。
歴史
甘藷焼酎は18世紀前半頃には造られていたようです。
甘藷は、1698年に琉球王国から種子島に、1705年に琉球王国から山川(鹿児島県指宿市)に伝わりました。シラス台地は水はけがよく、米の栽培にはあまり適さないこともあり、甘藷栽培が広まっていきました。薩摩ではsれまで米焼酎が造られていましたが、1850年頃に薩摩藩主であった島津斉彬公が甘藷焼酎の量産を奨励するとともに、その製造法の改良を推進した結果、甘藷が焼酎の原料として使われるようになりました。
甘藷の税像法は、さらに薩摩から伊豆諸島に伝えられました。幕末の19世紀半ばに、密貿易の罪で八丈島に流された薩摩の貿易商人、丹宗庄右衛門氏が伊豆諸島の三宅島と八丈島に伝えたといわれています。当時、島々では、食糧不足を案じて穀類を使う酒の製造が禁止されていたため、甘藷を原料に酒が製造できたことへの島民の驚きと喜びはとても大きんものがあったに違いありません。八丈島には、その遺徳を讃える碑が焼酎甕に囲まれて建っています。
鹿児島県では、明治時代以前は、麹、甘藷、水を一緒に仕込む「一段仕込み」(どんぶり仕込み)が行われていましたが、明治時代の終わり頃からは、清酒式二段仕込みを得て、現在の一次醪(麹+酵母+水)、二次醪(一次醪+甘藷+水)と、分けて仕込むスタイルになりました。
甘藷の違いによる香味への影響
主原料の甘藷には様々な種類があり、焼酎の香味に影響を与えます。
黄白色の甘藷
肉色が黄白色系の黄金千貫は、焼酎の原料として最も多く使われている品種です。甘みとコクのある、甘藷焼酎らしい香味になります。
白系の甘藷
真っ白な肉色のジョイホワイトは、1994年に命名登録された焼酎用品種です。柑橘類や花の香りの成分が特に多く、すっきりとした香味になります。
紫系の甘藷
肉色が紫色の甘藷には、アントシアニンという紫色の色素が含まれています。この甘藷から造られる焼酎は赤ワインやヨーグルトのような香味になります。
橙系の甘藷
ベニハヤト、アヤコマチなどの肉色が橙色の甘藷から造られる焼酎は、茹でた人参や南瓜、もしくはパパイヤなど南国の果物のような香味になります。
香味の特長
甘藷焼酎は、甘みの広がるまろやかな香りがあり、原料の特徴が製品の風味に表れています。その風味の強さは蒸留方法などにより少しずつ異なっています。お湯割り、水割り、ロックで楽しむことが多いようですが、特有の香りとやさしい甘みは、温かくして口に含むとより豊かなものとなります。